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261126パニックの原因 (何も知らされないままで、事態が推移して。)

261126パニックの原因 (何も知らされないままで、事態が推移して。)
堀江美和教諭の電話での回答 #要録偽造
平成26年(ワ)第24336号 国家賠償請求事件

261126 #izak パニックの原因 (何も知らされないままで、事態が推移して。)

私には情報が与えられずにいると、管理職面談でつたえた。手紙を見せてくださいと言っても拒絶された。

渡されなかった墨田養護時代の計画書と堀江教諭の回答への疑問

 私の状況認識としては「墨田では一人通学をしていた(つまり通学指導は終了していたと言うこと)」と、葛岡裕校長、堀江教諭から聞いていた。

■葛岡裕校長と母親の面談からの経過

1回目 葛岡裕校長
お母さんは、そう言うが、事故を起こした相手の身になって・・

▼葛岡裕校長は、母親を説得した上記内容を、私に伝えた。

2回目
母親から、墨田養護では「一人通学をしていた」と言われ、それを真に受け、変心した。
(入学相談の能力別グループで行われる入試では、文字が書けたり、四則計算ができたりする受験者対象のグループで、受験している。
母親は、N君の能力を実力以上に話すのが上手く、それを言葉だけで信じてしまう管理職がいる。
 入学後、能力別編成の学習グループが何処になったかと聞かれた。1グループですと答えると、チェッと舌打ちし、不快な表情になった)

▼葛岡裕校長は、「一人通学をやっていた」と言って、指導計画を私に命じた。確か、この時に勤務時間の変更を提案した。

 私は、N君の中学時代の墨田養護の一人通学指導の計画書を入手するように、中村良一副校長に依頼した。

▼中村良一副校長は、取り寄せた墨田養護の計画書を私に渡さなかった。私は、取り寄せたことも知らされていない。

推測、中村良一副校長は計画書を見て、「一人通学をやっていた」との内容を知り、私に渡すのを止めた。

▽このころ、N君の母親から千葉教諭にメモが渡された。
電話番号と堀江(名前はうろ覚え)教諭の名前が書かれていた。
墨田養護の時に一人通学をしていたことを聞いて欲しいと言うことだった。
千葉教諭は、電話して聞いてみると言って、メモを引き取った。

▽千葉教諭の変心。
メモの話を聞いてから何日後だか特定できないが、千葉教諭から「堀江教諭には、先生から電話して下さい」と、押し付ける様に言って、メモを私の机の上に置いた。

▽墨田養護学校に電話をして堀江教諭を呼び出す。
(堀江教諭について、中2の最後の通知表で、一人通学をすすめた内容を書いた教諭)
 電話の内容。
「中2の担任であり、実際の指導は行っていない」
それでは仕方がないので、中3の担任に代ってくださいと言うと、今いないとのことだった。

様子を知っていると言うので、一応聞く。
「直ぐに、出来る様になった。」

どのくらいの期間か後追いしたかは「分からない」
「小学校からずっと母親と歩いた道だから、初めから出来ていた」

危険な場所について聞く。
例えば横断歩道を利用する場所はどうしたか。
「陸橋を利用していた」

後の道については、説明から、葛飾養護校門から銀行までの道危険度のイメージを持つ。

(実際を知らないので、出張して道順を確認し、中3の担任と情報交換をしてからと判断。
実際に指導をしていない人の話を聞いても仕方がない。
指導計画を読んでからでないと分からない。
中3の担任は、学期当初に情報交換の場が設定されているが、欠席していた。そのため、N君について知識がない)

最大の謎を聞く。
なぜ、墨田の高等部に進学しないで、葛飾に来たのか。
母親の言葉を伝えた。
「墨田では電車を使った一人通学が出来る様になった。
今度は、バスを使った一人通学が出来る様にしたい」と。

▽電話を切ってから、少し後に、堀江教諭から電話が来る。事務室で受ける。

「直ぐに、出来る様になった。」どのくらいの期間か後追いしたかは「分からない」に対する回答だった。

「N君のファイルを持ってきました。期間は、6か月も後追いをしていません。3か月くらいで、1人になっています。」

(3か月、6か月と言う言葉が記憶に残る。ただ、中3の担任に話を聞く、指導計画は取り寄せを依頼しているので、聞き流していた)

この間に、堀江教諭が「校長先生は何て仰っているんですか」を繰り返したことが強く記憶にのこった。

礼を言って電話を切ったが、実際の指導をしていない堀江教諭から、説明を聞いての意味がない。

耳に残ったのは、堀江教諭が「校長先生は何て仰っているんですか」を繰り返したことだった。

■疑問が沸く。
堀江教諭は「校長先生は何て仰っているんですか」を繰り返した。
堀江教諭はなぜ電話を掛けてきたのか。(たぶん、電話を受けた場所では答えられない状況だったのではと思った)

「なぜ、母親は中3の担任ではなく、中2の担任電話をしろと言ってくるのか」

「千葉教諭は、普段の様子からかけ離れた態度で、先生から電話をして下さいと押し付けたのか。(千葉先生が電話をすると言ってメモをしまったではないか)

▽取り寄せられた指導計画と中3の担任との情報交換をした後に、指導をすることになる。しかし、3か月を一人ではできない。管理職にローテーションを組んでもらうしかないと判断。

▽このころから、母親の私へのクレーム対応に追われる。
N君の母親の連絡帳ではなく、お手紙で回答して下さいのクレーム以後は、N君への日常生活の指導止める。
管理職からの提案に従う。

■夏休後、学校に行く。校長室で話していると、飯田学年主任と千葉教諭が入って来て、話が中断。

二人は、涙を流しながら言った。「もっと気を使えよかった。すみませんでした・・」。文言は、確定できないが、涙を流しながら、言っていた。

 疑問が沸いた。千葉教諭の変心の時期は、態度で判明。飯田学年主任もそうだったのかと感じた。二人とも、とても善良な方だと思っていたが。

私が、パニック状況の頃のことだ。指導から外れる前の時期。

中村裕副校長と飯田学年主任が話した内容を、主任が伝えて来た。「朝会に出なくて良いから、毎朝、N君の着替えに言って下さい」と言われたことを思い出した。

私は、「朝会に出ないと、大事な連絡が分からなくなる。見張りは交代で行っているので不要と思う」と答えた。

 飯田教諭には、介護休暇を取るかもしれないと1学期の頃には伝えておいた。(これを葛岡裕校長が聞いて、「あなたは自分の都合ばかりを言っている」と言いに、私の机まで寄ってきて言った原因かと今は思う)

また、弁護士相談の話も飯田主任には伝えておいた。弁護士の話は、直接7月の管理職の拷問タイムの時に伝えて置いた。

まだりますが、疲れたので。

以上、宜しくお願いします。

 
261126パニックの原因 (何も知らされないままで、事態が推移して。)
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